赤ちゃんをわが子として育てる方を求む 石井光太

内容(「BOOK」データベースより)

一九二六年石巻に生を受けた菊田昇は、母が営む遊郭で育つ。東北大学医学部へ進み、産婦人科医となった昇は、小さな命を救うため―望まぬ妊娠をした女性と子供を望む夫婦の橋渡しを始める。それは法を犯すことでもあった。その事実が、新聞のスクープで明るみになり、世間を揺るがす事件に発展。日母からの除名処分、国会招致、家宅捜索など、幾多の試練が降りかかる中、国を相手に闘い続け、一九八七年「特別養子縁組制度」を勝ち取った。東北の地で小さな命を守り続けた信念の医師がいた。本年必読の書。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

石井/光太
1977年東京生まれ。作家。『蛍の森』『砂漠の影絵』『世界で一番のクリスマス』などの小説の他、『絶対貧困―世界リアル貧困学講義』『遺体―震災、津波の果てに』『「鬼畜」の家―わが子を殺す親たち』などのノンフィクションも数多く手掛ける

あらすじ&感想

特別養子縁組制度を作るきっかけとなった一人の医師の物語。

実際にあった話なんだけど、書き手が小説家のため小説としてもとても読み応えがありました。

ぐいぐい読んじゃいました。

東北で遊郭を経営する母の元で生まれた菊田医師。姉のように慕っていた遊郭で働く女性が、医師ではない素人が行う無理な中絶で亡くなります。

その後医師になった菊田は産婦人科を経営。母が喜ぶほどの高額所得者に。

でも、当時7か月まで認められていた中絶の処置をしたところ取り出した赤ちゃんが産声をあげ、当時の菊田医師はその子を殺めた(当時の医師は濡れたガーゼを置くなど直接的な処置をしていたが、菊田医師はそこまではできずただ寒い部屋に放置してなくなるのを待った)ことで、7か月という時期の中絶に疑問を抱き、子供を産みその子を子供が欲しいけどできない夫婦に実子として受け渡すという方法を考える。(もちろん当時は合法ではない)

それがいつしか話題になり、最終的には法を動かすというお話。

この時代は本当に今とはくらべものにならないくらい女性の性がないがしろにされていて、妊娠させられても地獄、逆に結婚して跡継ぎ産めなくても地獄だな。



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