自分で名付ける 松田青子

本の紹介

「母性」なんか知るか。

「結婚」「自然分娩」「母乳」などなど、「違和感」を吹き飛ばす、史上もっとも風通しのいい育児エッセイが誕生!

結婚制度の不自由さ、無痛分娩のありがたみ、ゾンビと化した産後、妊娠線というタトゥー、ワンオペ育児の恐怖、ベビーカーに対する風当たりの強さ……。

子育て中に絶え間なく押しよせる無数の「うわーっ」を一つずつ掬いあげて言葉にする、この時代の新バイブル!

【目次】
1章 「妊婦」になる
2章 「無痛分娩でお願いします」
3章 「つわり」というわけのわからないもの
4章 「理想の母親像」とゾンビたち
5章 「妊娠線」は妊娠中にいれたタトゥー
6章 「母乳」、「液体ミルク」、「マザーズバッグ」
7章 「ワンオペ」がこわい
8章 「うるさくないね、かわいいね」
9章 「ベビーカーどうですかねえ」
10章 「名前」を付ける
11章 「電車」と「料理」、どっちも好き
12章 「保護する者でございます」

【著者略歴】
松田青子(まつだ・あおこ)
1979年、兵庫県生まれ。同志社大学文学部英文学科卒業。2013年、デビュー作『スタッキング可能』が三島由紀夫賞および野間文芸新人賞の候補となる。2019年『女が死ぬ』(『ワイルドフラワーの見えない一年』を改題)の表題作がシャーリー・ジャクスン賞候補、2021年『おばちゃんたちのいるところ』がLAタイムズ主催のレイ・ブラッドベリ賞候補に。他の著書に『持続可能な魂の利用』『男の子になりたかった女の子になりたかった女の子』、翻訳書にカレン・ラッセル『レモン畑の吸血鬼』、アメリア・グレイ『AM/PM』、ジャッキー・フレミング『問題だらけの女性たち』、カルメン・マリア・マチャド『彼女の体とその他の断片』(共訳)、エッセイ集に『ロマンティックあげない』『じゃじゃ馬にさせといて』などがある。

感想

つい最近夫婦別姓に反対派の人に賛成派の人は面倒だからと自分のことばかり考えていて子供のことを考えていないと言われ、確かに私は自分の姓にこだわっているわけではないんだけどとにかく結婚したら苗字を変えなければいけないというのがものすごく面倒でその面倒をまぁ主張しない限り普通女性が経験しなければならないんだろうって思っていて(さらに言うと苗字に合わせて名前を付けた娘もいつかは同じ経験するんだと思うと別姓でいいじゃないとも思っていてそれも嫌)つまり面倒だから別姓でいいじゃないかっと考えていたので

「反対の理由が面倒だったり自分のためだったらダメなんだ」(一応両親が違う苗字であることなんて増えてきたらなんてことないことだと思うし離婚して苗字が変わって注目されるより逆にいいとか私のような理由ではなくちゃんとした?理由があり嫌だという人がいたら別姓にしたらいいし同姓がいい人は同姓にしたらいいじゃないとかも思っている)と思ったという出来事があった。

別姓については、すごく望んでいるわけではなく、他の人がたとえばサザエさん一家が別姓だと家に表札がいくつも並ぶって聞いた時は、たしかにそれはややこしいなって思ったし、私はもう子供ではないので子供にとって親の苗字が違うことがものすごく嫌なことかもしれないし、そもそも戸籍が~っていう意見もわかるので旧姓を仕事だけでなく広く使わせてくれるならそれでいいやと今は思ってる

ただ、今でも自分の苗字が好きだったのになんとなく今までの慣習で苗字を失ってしまったという女性がやっぱり別姓がよかったなと声を上げることは感情的で浅はかなことなんだろうか?とは思ってる。子供のことを抜きにただ自分が今までの苗字を普通に続けて持ちたいと思うことは子供のことを考えない非道な母なんだろうか?と思う というか私は本当にそんなに苗字に執着がないけど娘や息子が自分の苗字をとても気に入っていて結婚相手もそうだった場合にそのことが結婚の枷にならないためにも私は別姓もありにしてほしいと思ったりするんだけどそれもやっぱりそんなことより今までのといっても明治くらいから始まった世界でもあんまりない戸籍を守るために許されないのかな・・

とか思ってたりしてた時に手に取った本(確かフォロワーさんにおすすめしてもらったはず 前置き長)

内容は妊娠やつわりや育児を通して作者が感じた疑問。

作者が同い年かつ同じ大学卒ってこともありわかる!私も普段同じことに不満と疑問を持っていたので共感しまくりました。

特に何度も作者が出会った普通という言葉。

「普通はこう」という枠が日本には無数にあってそれから外れると何かすごく強い意志が必要になってしまうことが私はいつも窮屈に感じていて、でも強い反対ってわけでもないから面倒だし傷もつきたくなくて普通を装って生きてきたのですごく分かるそしてちゃんと自分で考えて生きてる作者に尊敬。

最近は時代なのか年齢により私の心が鈍感になったのか結構自由に生きてますが特に結婚や妊娠や育児についてはなんて普通が多いんだろうって嫌になります

この本を通してなんとなく普通の母であるために我慢してきた自分の気持ちや意見を少しだけ思い出してそれだけでちょっと苦しくなりました。

世の中にでもこれを言うとまた「妊婦様」とか言われていしまうのかなぁ。

それこそそういうひどい妊婦もいるんだろうけど、それを盾にだから妊婦は電車に乗るな小さい子を連れて電車に乗るなと言っちゃえるほどストレスをためてしまうそのことこそ普通ではないと思うんだけど

だけど、この問題を男女で話あってしまうと「だから女は」って言われそうで私はこの「だから女は」と言われるのが一番嫌なので言えない。

そんな風に言われるほど私は感情的でも浅はかでもないのにすぐにその言葉で討論を終わらせられるのがとても嫌いで今でも過剰にそのことに対して警戒してるんだな(という自己分析)

とまぁそんな感じでいろいろ感じながら読みました。



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